PROFILE プロフィール

阪口 直人 NAOTO SAKAGUCHI

れいわ新選組ボランティア本部 事務局長
平和構築NGOインターバンド 理事

学歴
早稲田大学教育学部英語英文学科
埼玉大学大学院 経済科学研究科修士課程
名古屋大学大学院 国際開発研究科国際協力専攻博士後期課程(中退)
大学院は仕事をしながら通いました。

著書 「心にかける橋」(学陽書房)
新しい平和構築論(明石書店) 共著
中田厚仁物語-夢は世界を平和にすること(ロコモ社)

経歴

  • もう、ほっとけやん!
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  • もう、ほっとけやん!
・キヤノン株式会社
海外事業要員として主に中国方面への複写機の輸出、マーケティングなどを担当。
・国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)選挙部門
・国連モザンビーク活動(ONUMOZ) 選挙部門
・日本外国語専門学校教員
この間、ボスニア・ヘルツェゴビナ、カンボジア等に外務省から派遣。 インドネシア・ガジャマダ大学など海外の大学で客員要員を務める
・前衆議院議員・首藤信彦の政策担当秘書
・NGO・インターバンドの事務局長として海外プロジェクト等の責任者を務める
・中央大学大学院客員教授

国会議員として

プロフィール
2009年8月、衆議院議員に初当選。以来、2期5年3か月国会議員を務めました。

国会議員として力を入れたのは、国内、海外を問わず公正な社会を作るための枠組み作り、また、地球社会を持続可能なものにするための様々な法律案の提案や作成です。特に原発の是非を問う国民投票の実施、世襲議員が相続税なしに政治資金を引き継げることなど、不公正な制度を是正し、お金のかからない政治・選挙を実施するため法律の立案、原発に依存しない社会と地域活性化の仕組み作りなどに力を入れました。また、財政力に乏しい中小企業の海外進出をサポートや、逆に海外企業の日本への投資や融資の促進にも力を入れています。

キルギス・シルクロード国際マラソンを提案、大会実行委員長を務めたり、解放後のアウンサンスーチー氏に日本の国会議員としては初めて自宅に招かれ、ミャンマーの民主化支援について意見交換をしました。カンボジアの選挙制度改革にも力を入れ、不正が起こらないよう、有権者登録プロセスのIT化を提案。実現に導きました。自由公正な選挙をミャンマーでも実施できるように、同様のシステムの導入を両国政府や議会にも働きかけています。

これらの活動はブログ『心にかける橋』に詳しく報告していますので、是非、ご覧ください。

課題解決先進国としての日本を実現し、それを海外にも広めていくことは地球社会への大きな貢献になります。それらを新たな日本の国際協力、そしてビジネスの根幹にできるよう力を尽くしていきます。

趣味 ・アウトドアスポーツ(フルマラソン完走10回。選挙区内のマラソンレースにはランナーとして参加しています)
・極真空手(黒帯、初段。早稲田大学時代は、和道流空手をしていました)
・スポーツ観戦(野球、ラグビー、格闘技全般)
・旅行(70ヶ国以上を訪問。神秘的な自然と戯れたり、異文化にふれるのが好き)
・読書(以前は純文学派でしたが、最近は国際政治や途上国開発に関する学術書を中心に読みます)

生年月日 1963年6月12日生まれ
ふたご座 O型
身長:180cm
体重:75kg

国会議員を目指すようになった私の原点を振り返ります。

子供の頃は…

5歳頃の私

プロ野球選手や格闘技のチャンピオンを夢見る読書好きの少年でした。高校時代は、作家に憧れていました。
早稲田大学時代は、あまり勉強はしませんでしたが、空手に打ち込み、全国大会をはじめ数多くの大会に出場しました。 また自然の中で子どもたちに野外活動指導を行うなど様々な社会経験も積むことができました。 多くの友人にも恵まれた充実した日々でした。就職前にはアジアやアフリカ、ヨーロッパなどを放浪。 この頃から、発展途上国の様々な社会問題に対して強い関心を抱くようになりました。
卒業後入社したキヤノン株式会社では、主に中国を対象に、複写機の輸出事業を担当していました。 頻繁に海外に飛び出していく充実したサラリーマン生活でした。 また休日はマラソンレースを走ったり、スキューバダイビングや登山をしたりetcとアウトドアスポーツを楽しむ日々でしたが、長期休暇の度にアジアの貧しい国々を旅してまわっていました。 しかし、発展途上国への強い興味をどのような形で自己実現につなげるか…というテーマを、会社生活の中には見つけることができず、新たな一歩を模索し続ける日々でもありました。

1989年 転機が訪れる…

カンボジアでの最初の仕事

5月、ヒマラヤでのトレッキングの際に滞在したカルカッタでマザーテレサの施設・「死を待つ人々の家」に立ち寄りました。全ての人々が尊厳のある命を全うできるよう献身的に働く看護婦やボランティアに接し、国際協力やボランティアに次第に興味を持つようになりました。
この年は中国への出張が続いたのですが、6月4日、民主化を求めて北京の天安門広場でデモを行っていた学生に対して人民解放軍が発砲し、血の弾圧を行う事件(天安門事件)が起こりました。 それまで、外国の紛争や貧困などの問題に対し、「自分の問題」としての意識は希薄だったのですが、友人の親族や仲間が殺されていく映像にかつてない衝撃を受けました。
さらに11月9日、ベルリンの壁の崩壊をきっかけに東欧の社会主義体制が一気に変わっていくニュースに接し歴史が動き出したことを実感しました。自分もそんな流れの中で活動したい! と駆り立てられる思いに突き動かされました。

除隊兵士の自立支援

もっとも特に専門性や技術を持たない事務系サラリーマンとして何ができるのかという問いに対しては明確な答えを見つけることはできませんでした。 1992年春、新聞を読んでいた私の目に運命的なニュースが飛び込んできました。カンボジアでは長く続いた内戦がようやく終結に向かい、国連が史上初めて一国の行政を統治し、平和維持活動を行う歴史的な試み(UNTAC 国連カンボジア暫定統治機構)が行われようとしていました。新聞記事によると、国連は各ディストリクトで人々と共に生活し、選挙支援活動の運営や監理、村民への教育(Civic Education)を行う選挙監理ボランティアを募集しているというのです。

除隊兵士の自立支援

「これだ!」直感した私は一気に経歴書を書き上げ、アメリカ人のプログラムマネージャーが来日した翌週には面接試験を受けていました。  国際協力活動に関する専門性も経験もありませんでしたが、やる気と体力、そして仕事を通して得た問題発見・解決手法をアピールした私は幸運にも合格しました。会社に辞表を提出し、カンボジアに向けて出発したのはわずか1ヶ月あまり先の7月7日でした。  カンボジアでの活動は私の人生を変えました。以降12年。国際平和協力をテーマとして、国連、日本政府、NGOなど様々な立場で紛争地での活動を続けてきました。
(詳しい活動については、私のもうひとつのホームページ Bridge over Heartsをご覧下さい)

私のスタンス

平和の実現はひとりの力で果たすことはできません。様々な活動の傍ら、ジャーナリストや専門学校教員として「伝える」ことにも力を注いできました。著書『心にかける橋』を出版したり、新聞、雑誌、テレビなどのメディアを使って人々にメッセージを発信。平和のネットワークを作ってきました。 学術的な研究も大切だと感じたので、仕事をしながら大学院にも通って勉強しました。修士課程を終えた後、名古屋大学大学院国際開発研究科の博士後期課程に在籍し、カンボジアでのケースを題材にして紛争後平和再建と民主化支援についての博士論文を書いているところです。

いざ、政治の道へ

政権交代に向けて一直線

現場での活動を続けるに連れて、問題意識をより効果的に具現化するには政治の力との連携が不可欠であると感じ、2000年秋以降、紛争予防・紛争解決の専門家でもある前衆議院議員・首藤信彦氏の政策秘書を勤めました。紛争後平和再建活動を行うNGO・インターバンドの事務局長としてフィールドでの活動を続けながら、そこで得た問題意識を政策立案に活かすべく3年間を過ごしました。
秘書として過ごした経験は、政策決定の過程をつぶさに見る良い機会でした。同時に、日本の政治への危機感を決定的なものにしました。年金や福祉、失業、教育など身近な場所に深刻な問題が山積でありながら、市民の声を問題提起する議員の数があまりにも少ないと感じました。私自身がそのひとりになりたい・・・! そんな思いが日増しに強くなり、日本を変えるべく自分自身が国政を目指す決意を固めました。

2013年12月3日「NHK news9」での取材の模様が動画サイトにアップされていました。
阪口直人NHKニュース9動画